レジーのブログ(旧)

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『ソーシャル化する音楽』感想戦2 (3章 ライヴ感の共同体のなかのライフ)

司会者「それでは前回に引き続き『ソーシャル化する音楽』についてやりましょうか」



レジー「前回の記事で弊ブログのサブテキストに勝手に認定したわけですが、著者の円堂さんからもお墨付きをいただきました」




司会者「やさしいですね円堂さん」

レジー「これほんとに今読まれるべき本だからね。改めて章立てを示しておきます」

序章 祝祭の風景の一九六〇年代とゼロ年代以降
第1章 ガジェット化する音楽
第2章 キャラクターをめぐる人形遊び
第3章 ライヴ感の共同体のなかのライフ
第4章 音楽遊びの環境(アンビエント)
第5章 浮遊する音楽論
終章 繰り返されるトランスフォーム


司会者「特に面白かったのが1章、3章、5章だったという話は前回しましたね。で、1章については中身に触れました」

レジー「今回は3章と5章一気に行けるかな。まずは3章から」


第3章 ライヴ感の共同体のなかのライフ

司会者「この章は「ライブ」というものを起点として、バンドというフォーマット、フェス、AKB48、不在になったメンバーと「共演する」ベテランバンドなどに触れていきます。それから「ミュージッキング」という音楽の概念を拡張する考え方も出てきますね」

レジー「この『ミュージッキング』って本は読みたいなあと思いつつずっと手が出てないんだよなあ」



司会者「なんか重そうですからね」

レジー「腰据えて読まないといけないタイプの本だねたぶん。で、この章は何と言ってもタイトルがいいなあと」

司会者「ライブで伝わるものが「音楽そのものだけではない」ということが端的に表現されてますよね」

レジー「うん。この辺りの問題意識、というか興味関心はすごく自分と近いですね。前回も軽く触れましたが、以前このブログで取り上げたロックインジャパンリア充問題、フェスが「音楽を楽しむ場」ではなくなりつつある、という話とリンクしている部分があったので引用したいと思います」

また、一九八〇年代末にイギリスで人気だったザ・ストーン・ローゼスが「これからはオーディエンスの時代だ」と発言したことに代表される通り、ステージ上と客席の敷居をなくしたいと訴えるアーティストは昔からいたが、現在のカリスマ不在とフェス乱立をみる限り、少なくとも意識のなかでは両者の間の敷居はかなり低くなった。ライブ会場では、ステージ上のスターのオーラやファンタジーよりも、観客たちのリア充気分のほうが重要になっているかのごとき状況がある。

司会者「リア充気分を楽しむための場にライブ会場がなっていると」

レジー「ここでは一般化して「ライブ会場」っていう話になっていますが、これが顕著なのはやはりフェスだよなあと個人的には思います。そうやって考えたときに思うのは、「フェスとは新しい音楽メディアである」みたいな話もストーリーとしては美しいけど実際問題としては結構厳しくなっちゃってるんだろうなあということですね」

司会者「別に新しい音楽に出会ってないわけですからね」

レジー「「リア充的うぇーいwwな時間」と「有名バンド(もしくは自分が知ってるバンドの馴染みの曲)で大合唱」ってのが価値になってて、「未知の音楽との出会い」みたいなのは場全体としては後退してますよね。もちろん出会ってる人もたくさんいるだろうし、僕自身もそうですが。その辺に関して以前こんなツイートしたら結構RTされたんですけど」




司会者「まあそうでしょうね」

レジー「フェスを「メディア」として捉えるなら、それは「すごく音楽好きな人のためのメディア」なんですよね。だからもし音楽メディアの趨勢を「音楽番組を中心とするマス媒体からフェスへの移行」というストーリーで考えると、それは音楽というジャンル自体が閉じられたものになっていく過程とも言えるんじゃないかな」

司会者「基本的にフェスの中心的なアクトはロックバンドが多いわけですが、今あげた「閉じられた空間でのリア充気分の確認」っていう話は、この章で述べられている「「ロック」「バンド」というものがある種の「ノスタルジー」の対象になっている」という話とつながってきますね」

レジー「そうね。ここでは「ノスタルジー」を象徴する作品として『リンダ リンダ リンダ』『けいおん!』や『涼宮ハルヒの憂鬱』の文化祭の回なんかが出てくるんですけど。個人的には『大人のロック!』みたいなおっさん用の後ろ向きなメディアだと思ってたものと、『少年メリケンサック』『NANA』『フィッシュストーリー』『ソラニン』というもっと若い人たちも見たであろう映画が「バンドというものを介した過去への思いの表現」って感じでまとめられてて結構ドキッとしました」

司会者「『少年メリケンサック』『NANA』『ソラニン』はどれも宮崎あおいが出てますね」

レジー「ほんとだ。どれも役どころは違うから別に共通項はないと思うけど」

司会者「そう言えば『BECK』が出てきませんでしたね。マンガは08年まで連載してましたし、映画も10年にやりました。ある意味ロックバンドマンガの金字塔的な作品ではありますが」

レジー「『BECK』は映画見たけどマンガは途中までしか読んでないから何とも言えないんですが、あの作品では「ロック」「バンド」ってものが「新しい世界を切り開いていくための手段」として描かれてるから、さっきあげた作品群とはだいぶ違うよね。もしかしたらそれを90年代的なロック観と呼んでいいのかもしれないし。僕あのマンガ知ったのってJAPANの紹介記事だった気がするんですよ」

司会者「確かにJAPANと『BECK』は相性よさそうだな」

レジー「この辺りの作品論を通じて音楽評論そのもののあり方の変遷についても語れるのかもしれないですね。で、この章は冒頭でもちらっと書いた通りAKBに関しての言及もあるんですけど」

司会者「「ライフの実況中継」という項でAKBについて触れているわけで、章全体の核にもなっている部分ですよね」

レジー「「AKBは口パク主体」という話になると「だからクソ」で終わっちゃうパターンが多いですが、それゆえ「音楽が終わった瞬間、ステージが「ライフ」を表現する場になる」「その状況は「ステージ外の人がキャスト化する」という話と同じ構造」っていう見立てはなるほどなあと思いました。ちょっと長いですが該当箇所を引用しましょうか」

AKB48は、生で歌声を発することを(あまり)していない(許されていない)という意味では、全員が本来のライヴ・ミュージシャンには選ばれていない「非選抜アイドル」だといえる。彼女たちは、歌唱以外の発言、表情、しぐさ、他のメンバーとのコミュニケーションのとりかたなどによってライヴ感を生む。いいかえるなら、AKB48のキャラクターとしてどのように生きているかを披露するショーだ。ライヴというよりライフが売りものになっている。
それは、ステージ外の人々の行為がミュージッキングへの参加になるキャスト化とどこか似た状態である。音楽が鳴り終わり、喋りだした時にむしろライヴ感が高まるAKB48は、オンステージがオンでなくなったほうが輝くともとらえられる。ステージ外の一般人がキャスト化することでその場をオンステージ化するのと、AKB48の逆説的なライヴ感は対、あるいはパラレルになっているように思われる。


司会者「この部分を見ると「やっぱAKBって音楽関係ねーじゃねーかw」って話になりませんか」

レジー「「ライブ」っていう観点で見るとまあそういう議論もできるよね。僕自身代々木体育館と西武ドームでAKBのライブを見に行ったけど、ほんとひどいなと思いました。だからそういう意味では、先日の記事で取り上げた「アイドルにとって音楽は総合的体験の一部でしかない」っていう宇野常寛さんの話はAKBに関しては一定の正当性はあると思います。で、それ以外の見方もあるよね、というのも同じ記事で指摘した通り」

司会者「ロックバンドで語られがちな「ライブでのケミストリー」みたいな話が生まれないとすると、アイドルを音楽的に楽しむには音源で聴くのが一番ってことなんですかね」

レジー「だからこそベボベ小出さんも「完全在宅主義」なんて名乗ってるんだろうけど。ただ、一方でそういうある種レガシーな「ライブでのケミストリー」みたいなものを強調してるももクロがあそこまで支持されてる状況もあるわけで」

司会者「ももクロが「全力」みたいなタームを持ち込んで位相が変わった部分はありますよね」

レジー「うん。で、それとは違う角度で、たとえば女子流はバンド入れてライブやったりすると。それだけで「ステージ上における音楽的ライブ感」は違いますよね」

司会者「一口に「アイドルは」と言うのも難しいですよね。当たり前ですけど」

レジー「そうね。円堂さんの本が誠実だなと思うのは、あくまでもこれは「AKB48に関する話」だと明確に限定してるんですよね」

司会者「安易に「アイドル論」に敷衍していないですよね」

レジー「ここは自分でも陥りがちな部分なので気をつけないといけないですね。そういう前提を踏まえたうえで、AKBが提供している価値をわかりやすく明らかにしていると。この辺は『AKB48白熱論争』の議論を補完する内容にもなっているんじゃないかなと思います」



司会者「わかりました。しかし3章だけで結構な分量とっちゃいましたね」

レジー「そうねー。3章はもっとさくっといくつもりだったんだけど意外と長くなってしまった。ここから5章まで広げると大変なので、5章は次回に回します」

司会者「では3章の話を終えるにあたって何か言い残したことがあれば」

レジー「そうですね、とりあえずさっきの引用部に出てきた「非選抜アイドル」という言葉、これは先日AKBを卒業した仲谷明香さんの本のタイトルなんですけど。これマジで名著ですよ」



司会者「「特別ではない自分がアイドルグループの中で何をすればよいか」みたいな話が実感を持ってつづられています」

レジー「AKBというグループ、というか「グループ」というより「組織」と言った方がいいかもしれないけど、そのあたりを理解するうえでものすごく貴重なテキストだと思うし、あとはインチキ臭い自己啓発本よりはよっぽど触発される部分があると思いますわ」

司会者「円堂さんもこの本が『ソーシャル化する音楽』を含めた一連の著書の裏テーマである旨を表明されてます」




レジー「こちらも合わせておすすめです」

司会者「では今回はこんな感じで。次回は5章ということでこの本について取り上げるのも最終回ですね」

レジー「もしかしたら、まもなくパスピエの新曲が出るのでそっちの話を一回はさむかも」

司会者「これね」



レジー「PV見るとライブと印象変わるなあ。というわけで次回はパスピエの話か『ソーシャル化する音楽』感想戦の続きのどちらかをやると思います」

司会者「できるだけ早めの更新を期待しています」
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